ただの水道水と、沸騰させることでカルキを飛ばした水道水、墨色の違いを見る
概要
淡墨作品を書くときは、水道水を沸かした水で墨を下ろした方が良いという話を、聞いたことがある。 でも、溶媒によって墨色にどういう影響をあたえるのかが分からなかったし、そのあたりをちゃんと説明しているページが見当たらなかった。
そこで、ただの水道水と、沸騰させることでカルキを飛ばした水道水 (以下、脱カルキ水) とで、墨色にどういう違いが生まれるのかを、実際に試してみた。
使ったもの
材料
以下の組み合わせは、手持ちの紙サンプルの中で最も墨色が良かったもの。紙サンプルは書遊で買い物をしたときに一緒についてきた。
道具
- 硯: 土佐硯
墨の溶媒
- 水道水
- 鍋で約10分間沸かし、カルキを飛ばした水道水 (以下、脱カルキ水)*1
結果
溶媒: 水道水
文字が頭でっかちで残念だが、墨色だけ見てほしい。意図して残念な字にしたわけじゃない。
- にじみの部分が平板的。なんかベタッとしている (うまく言い表せられない)
- 濁ったにじみ
溶媒: 脱カルキ水
- にじみの部分が立体的。基線 (筆が通った線) からにじみの縁に向かって、墨が放射状に広がっている様子が見られる
- 澄んだにじみ
まとめ
- 立体的で澄んだにじみを出すのには、脱カルキ水を使うと良いと思う
- ただし、にじみ方は紙と墨の相性によって*2大きく変わるため、まずは、手持ちの墨に対してマッチする紙を見つけるべし
- なぜ溶媒によって異なる墨色を示すかは、墨に対する知識をあまり持っていないので説明できない。他の文献を当たってほしい*3
おまけ
溶媒: 脱カルキ水 + 4日目の宿墨
下ろした墨を数日寝かせたものを宿墨という。宿墨を使うと、基線がよりくっきりと表れ、にじみが少なくなる。
墨溜まりができると左のように、サラッと書くと右のように線が表れる。
溶媒: 脱カルキ水 + 紙:「泰山」
墨と紙の相性によっては、綺麗なにじみが出てくれない。
宿墨を使うと、基線がはっきりし立体感が出て、さっきよりはマシになった。
追記
水道水、脱カルキ水のどちらが良いor悪いということを言いたいのではありません。「良い」「悪い」があるとすれば、それは作者が求める表現かどうか、ということだけです。どちらの溶媒も使い方次第です。
「エンジニアなのに書道が趣味って変わっている」とか時々言われるので、きっかけとか書道歴を晒す
概要
「エンジニアなのに書道が趣味って変わっている」とか「きっかけは何だったの?」とか、自己紹介すると時々聞かれるのでここに残す次第。
内容は、書道を始めるきっかけから今に至るまで。書道歴とか言いながら段位も賞も何もないけど*1、小さいながらも個展は開いた (後述)
段位とか賞だけが書道じゃないんだ!!!!!!*2
変遷
小学生時代 (高学年ぐらい)
何かの課題でポスターを作ったときのこと。ポスターの文字は、みんな雑にしがちで、絵は良くても文字はヘボいことが多い。それを見て、文字に関しては他の人より絶対うまくやれると思ったのだと思う。だからパソコンのフォントを参考にして誰よりも綺麗に書いた。
結局、文字を綺麗に書いたからといって、課題が評価されることはなかった。だけど、それが「レタリング」だということを、図画工作の先生が教えてくれた。
それ以来、レタリングに興味を持ち、広告や雑誌、街の看板などの書体に目を向けることが多くなった。決して目立たない存在だけど、テキストが持つ空気感や意味合いを変えてしまう書体の面白さに気づいた。
でも、書写 (習字) *3は好きじゃなかった。毛筆で文字を書くなんて今の時代はやらないし、整った字ならパソコンで出力すればいい、と思っていた*4。
中学生時代
書き初めの練習中に先生から書道の素質があると褒められる。ホントかよって思ったけど、書道は今も続けられているので、先生の目は間違っていなかったと思う*5。先生の言葉がきっかけで、高校に入ってから書写教室に通い始める。これが書道を始めた直接のきっかけ。
高校生時代
中学校の先生に言われた言葉を胸に、近くの書写教室に通い始める。教室には2年通っていたけど、整った文字を書くことを目的とする書写よりも、芸術表現としての書道がやりたいと思うようになった。
これは蛇足。行っていた書写教室は公文の教室。実は公文は書写もやっている。ビジネス手広い。
公文書写 - お子さまから大人の方まで、くもんの書写は、選べる4教科
公文の回し者じゃないけど、公文書写のお手本は変な癖がなく、原理・原則からちゃんと教えてくれるので良い。先生との相性はあるにせよ、手本に関しては安心できると思う。
大学生時代
芸術表現としての書道がやりたかったので、入学後すぐ書道部に入った。
とはいえ、大学に書道の先生がいないので独学する以外なかった。当時は目標もなくダラダラやっていたので、あんまり上手くなった実感がなかった。ゆるーい部活はそれはそれで楽しかったけど、もっとうまくなりたいという気持ちはいつも持っていた。
書道教室
学部4年のとき、先輩のつてで先生につくことができた。それから、書の技術が飛躍的に上達したし、以前に増して書道にのめり込んでいった。
週一回の教室では、黙々と臨書*6している。ただひたすら、競書誌の臨書課題を納得行くまで書き込む。「よし、これだ!」と思ったら先生に見せてツッコミを入れてもらう。
小さな個展
そのまま大学院に進み、書道教室に通いながら気楽に書道を楽しんでいたが、修士1年の冬、就活ついでに見に行った独立書展で衝撃を受けた。そこには、今まで見たことのないくらい生き生きとした作品が並んであった。国立新美術館の公募展スペース3階分をすべて使うほどの作品数に圧倒されたし、そのどれもが輝いていた。これほどの規模感、作品レベルは東京以外ではなかなか見られないと思う。
そういう生き生きとした作品群を見て、自分も何か書きたいという気持ちになった。ずっと臨書ばかりして頭が凝り固まっていたけど、自由な創作について考えるきっかけにもなった。独立書展が個展を開くきっかけだった。
大学の図書館で開いた小さな個展だったけど、やってみてよかったと思う。作品の雰囲気がどれも同じにならないように題材を選定して、書きぶりを変えて作品を揃えるのは、とてもクリエイティビティの高い仕事だったし、何より楽しかった。
先生にアドバイスを頂きながらだったで、本当の意味での個展ではなかったかもしれないけど、そうできる経験ではないと思う。知名度も賞も何も持っていないのに多くの方に見てもらえたのは嬉しかった。見に来てくれた方々との出会いは、書道をする上でとても励みになったし、自信を持つことが出来た。
まとめ
- 小学生時代
- ポスター作りでみんなが雑にしがちなレタリングに凝る。文字に興味を持った
- 中学生時代
- 書道の素質があると先生に褒められる。調子に乗った
- 高校生時代
- 書写教室に通い始める。やってみて分かったけど、書写よりも芸術表現としての書道がやりたいことに気づいた
- 大学生時代
- 学部4年にして先生に巡り会う。飛躍的に上達した
- 修士1年の冬、独立書展の作品群に衝撃を受ける。書きたい欲が出てきた
- 修士2年の夏、小さな個展を開く。見に来てくれた方々との出会いは、書をやる上で励みになったし自信にも繋がった
振り返って
- 書道の素質があると褒められたのが中学3年、プログラミングを始めたのは中学1年生か2年生ぐらい。中二病って言葉があるぐらい、中学生時代は多感で、その後に大きな影響を与えうる大切な時期だと思った
- 書写教室で得た知識や技術は、書道をやるようになってからも役に立った。逆も然りであるはず
- レタリングと書道、プログラミングと書道。デザインと芸術、エンジニアリングと芸術。両方の領域に触れられていることは良いことだと思う。そこで得た感性をどこかに活かせたらと思う。
- エンジニア×書道の組み合わせは、あまり見かけないのでセルフブランディング的にも書道は続けたい
*1:今のところ、安芸全国書展入選ぐらいしかない
*2:「書道が好き」という話をすると、時々「何段ですか?」とか聞く人いるけど、回答に窮するからやめてほしい。段位制度は会や教室ごとに独自にあるので、所属が違うと比較にならない。だからといって「xx 展入賞」とか言ってもピンとこないし盛り上がらないだろう。やっぱり数にはインパクトがあるんだろうな。「書道八段」とか強そうだし、
*3:書写 (習字)と書道は共通部分はあるけど別物。後述する
*4:今もそう思っている節がある。とはいえ、字がきれいに書けることはまだまだ重宝されるらしい。
*5:上手という意味ではなく、続けられているという意味で
*6:書跡をお手本に練習する方法。文字の形や筆使いを身につける。野球でいう素振りでフォームを身につけるみたいなものだと思っている。野球は全然分からないけど